【千代の浦】


釧路には海が豊富にある。もともと漁港として栄えた街だ。
何年間も漁獲高日本一を続けていた時期があった。
それが二百海里問題で、シオシオと崩れていく様は
子供ながら、なんか見えない大きな力が、
漁業関係の大人たちを押しつぶしていくような感覚で、
抵抗しようのないどす黒いものが漂ってくるようだった。

それはさておき、
海に面した街でありながら、僕らは海で泳いだことがなかった。
それは海は泳ぐところではないという習慣が釧路にはあったからだ。
だからテレビのニュースなどで海水浴のシーンを見ると、
泳ぐ海って、それは内地(北海道の人が本州をさして言うことば)だから、
違うんだろうねえと、感じていた。
(実際には、オホーツク海に面した網走でも海水浴は短い期間ではあるが
行われていることを知ったのは、僕が高校生になってからだ)

僕の場合、千代の浦という浜によく行っていたが、
海に行ってやることは、靴を脱ぎ、
波打ち際で寄せては返す波の動きに合わせて足を浸し、
砂浜でキャアキャアはしゃぐこと。
そして砂を掘ったり、積んだりして造形物を作ることなどが主だったことだ。

なにしろ、海の水は夏でもとても冷たいのである。
この温度の水に全身を浸すことは、まずもって異常な行為としか考えられないし、
まして泳ぐなどということは、そうとうな時間を海に体を晒していることである。
危ない。それは心臓麻痺というものを人体に引き起こす可能性が高い。
と、子供のとき思っていた。
また、波がいつも高い。
浜の一部にテトラポットという正四面体のコンクリート骨組みが
浜から海中に向かって並べられているところがあった。
その先端は海にいつも浸かっている。
骨組みを伝って、先端にいくと周りはすべて海だから気分はいいのである。
しかし、晴れていても時折、大きな波が押し寄せて、
ドッパーン!!と大波がはじけ、全身ずぶぬれになることがある。
運が悪ければ、いわゆる波にさらわれて、行方不明となる。
そして、遠浅ではないのである。
その千代の浦はなかりの傾斜で深くなる浜だった。

冷たい、波が高い、すぐ深くなる。
この三拍子そろった条件で、僕らの海は、海水浴する場所ではなかった。

でも僕はその浜が大好きだった。
海は広くて大きくて、潮の香りがして、水平線を眺めれば、いくつかの船のシルエットが見え、
そのずっと向こうにはアメリカがあった。
大人たちは、長い竿を思い切り振り回して、ずうっと遠くにオモリを飛ばし、
その長い竿を浜に差して、竿先の鈴が鳴るのを待っている。
ときおり反応があって、リールを思い切り回し始めると、僕らは走っていって、
何が釣れたか見にいく。大きなカレイだったりすると、
「すげええ」とか言って、うらやましくて感心してしまう。
イカ漁の時期には、海のあちこちに灯りがともる。それはきれいなものだった。

浜には打ち上げられた海藻に絡まって、いろんなゴミがころがっていた。
それが、たとえプラスチックの洗剤容器だとしても、
海に長いこと洗われたものは、角がまるくなっていて、
ずいぶんとやさしい感じのごみになっている。
僕はそれも好きだった。
鋭いガラスの破片だったものが、
丸いモスグリーンの宝石に変わって浜に転がっているのだ。
僕らは飽きることなく浜にいた。
そして浜にいると、夕暮れはすぐにやってきたものだった。